「なぜ、書すのか?」は、

「なぜ、生きているのか?」を問うことに似ている。

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書道の始まりはおよそ3,500年前の中国と古く、紀元前500年頃に起こった仏教より実に1,000年もの長きに渡る歴史をもっています。日本においては、7世紀頃、仏教伝来とあわせ写経と共に広がったとされ、追ってかな文字による日本独自のアプローチが生まれていきました。

 

 正しい書き順や整った文字の書き方を学ぶ習字と異なり、書道は文字やその表記の形式を用いた「表現」をその目的としています。本来、意味を伝達する実用のために生まれた「文字」が、「書」という芸術として立ち表れるとき、それを見る私たちは、明らかに文字本来の意味を超えた何かと向きあっています。辞書を訊ねればその文字についての定義が記され、共通の理解とすべき内容を知ることができます。また文字である以上、誰にも書くことが可能です。それは逆説的に、たとえ同じ「文字」であっても同じ「表現」が二つと無いことを意味しているのではないでしょうか。「字は体を表す」や、「書は人なり」といった古くからの言葉もまた、それを教えてくれます。

 

 今、明行寺の本堂には、近隣の地域で筆をとりながら暮らす数名の方々の作品が展示されています。あらゆる表現活動に共通して言えることですが、「なぜ、それをするのか?」を問う時、この答えに肉迫する感覚は「なぜ、生きているのか?」を自分に問うことではないか、と改めて思い至ります。作品の前に立ち、その筆遣いを自分自身の息遣いの中に感じてみるとき、「書」は見る者において閉じられた「意味」を超え、この世に生まれ、生き、そして作品を生みだす地域の書人の「生」へと私たちを誘ってくれます。


 

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明行寺 お釈迦さま&親鸞聖人 W降誕会week 書道展「生」

2022年5月14日(土)− 22日(日)

11:00 – 17:00